あなたの為はニセモノ
自分の経験と体験上、
そして人の言動を観察した上で、
人のため、と考えてする事には
ほぼ、間違いなく それは自分のためを
すり替えて事をコントロールしようとしている基がある。
あなたの言動は誰々さんに対して迷惑じゃないかしら?という私が受けた注意も
私がした、誰々さんが大変だから
こうしたら如何かしら?の提案も
基にあるのは自分の都合や自分が悪くなりたくないから、とか理由がある。
注意や提案のすべてが偽物ではない。
それは感じ取れる。
しかし、偽物と感じた時、どーすればいい?
自分がしたニセの思いやりは
ただひたすら ずるかったね。と認めて自分を受け入れる。
多分、本物の人のためになること、思いやりは
理由も理屈も説明もつかないもの。
きっと私にも本物の思いやり、誰かのため
は出来てたかもしれない。
記憶してないから、説明できないから
無いのではない。
本物だったら自分には残らないものなんじゃないかな。
だから、もしかしたら自分は誰のためにも何の思いやりも持てない人間なんじゃないかと恐れずに
自分を信じて
ここに決意する。
私は誰かのために、人のためにと意識する事はもうしない。
自分のために、と思うことだけする。