気づきつづり

ボーっとしているときにフワッと湧く気づき。それをどこかにつづりたくて・・・

本物の感覚を取り戻せたかな

ネガティブな感情を感じないようにすると、ポジティブな感情も感じられなくなる。

とは、比較的最近、知ったこと。

 

そうなんだね。

だから私は自分の好きなことも何がしたいかも分からなくなってしまったのだな、と思っていた。

 

わざわざここに書き込むのは

私は苦労をしましたと公表したくてではない。

とても大きな感覚だったので記録したくて書き込む。

 

私が25歳のときに父の胃ガンに始まり、3年後には母の大腸がん

その後は両親が交代交代に完治の喜びつかの間で再発や、脳閉塞やが続き、両親が別々の病院に入院し1日にどちらにも通う時期もあった。

父は何とか80歳の誕生日を迎えて息を引取った。

看病が長く続いたようでも私としては苦労したとか介護を長くしたとかの意識がない。

 

最近、身近な友人たちも両親が高齢になり介護や様々な現実に直面している。

「あなたは早くからこれをやって来たんだもんね」と言われる事もあるのだけれど私は、そうなのかなぁ・・・と、大変だったとか感じなかった。

実際、私の両親はそんなに手がかからないほうだったんじゃないかなと思っている。

私は親不孝だったのに、親は子孝行で逝ってくれたなぁと思っている。

 

ところが今日も知人が義理父が入院したけれど今後の回復はあまり期待できないのだと話してくれて、色々と様子を聞いているうちに

辛いな、悲しいな、きびしいな、などを感じていたら

「私は自分が親に関わっている時、感じないようにしてきたんだ」

と気づいた。

知人のお父さんを想い、知人家族の苦悩を想い、感じているうちに

それを思い出した。

感じていたらつぶれてしまいそうで、私は無意識にも感じないようにし

やり過ごしたんだ、と気づいた。

どうであれ、1人で長い間、とてつもない事をやったんだな。

悲しくて苦しくて当たり前のことなのに。

 

それに気づいて、認めて、感じて、受け入れたら

悲しみや苦しみに飲み込まれるのではなく、感覚が戻ってきた気がする。

いわゆるネガティブな感情、苦しい、悲しい、厳しいを認めて味わったら

真逆な喜ぶ、楽しむ、幸せなどの活力が感じられるようになった気がする。

 

これはとても大きく大切な気づきだったので書きたかった。

母を看取って17年、父を看取って7年が過ぎている。

もしも、どなたかこれを呼んだ人で、私のように自分の好きなこと

やりたい事がわからないという人がいたら、遠く過ぎたことでも

何か苦しすぎて感じないようにした感情は無いか探してみて欲しい。

今、それを感じることは怖いかも知れないけれど、過ぎた今となっては

安全。それを感じたら関が伐られ人間として当たり前に持っている

本来の喜び、楽しみ、有難さ、が活き活きと感じられるようになる。

私は今まで何とか力ずくで感謝や喜び楽しみを感じようとしていた。

けれどそれらはまるで色の無いモノクロだった。

今は色を感じる。活き活きとした色や温度や感触や明るさを感じられるようになった。

 

どなたかのお役に立てるかわ分からないけれど、

私の記録として・・・。