誰かにしてあげられること
知人のお向かいさんに大変厳しい家庭環境の親子が住んでいて
中1になる娘さんを まるで親代わりのように私の知人ご夫婦はサポートしている。
60代の元気なおばあちゃんと
お父さんと中3のお兄ちゃんと生活している女の子は小さい頃から家族代々受け継がれて来た負のスパイラルのはけ口にされているように
私には見えた。
この私の知人が近くに住んでいることが彼女にとっては幸運なことになっている。
美容院に連れて行ってもらったり
旅行に連れて行ってもらったり
学校の教師や校長とも話し合いに行ってもらったり。
まだ若過ぎて選択の幅がないけれど
世の中にはこんな家庭があるんだ、
こんな夫婦があるんだ、
こんな大人がいるんだ、
と、知ることは酷なことになり得るけれど形成途上の間に「知る」ということは将来の財産になるんじゃないかな。
自分を振り返っても思う。
人って、もしかしたら
欲しがっていたけれど得られなかった環境を人に与えてしまう。
自分はこうされたかったけど されなかったから
その寂しさが分かるから人には
こうしてあげよう。
そこまで気付いて行動できればいいのに。
実際に自分に経験がないと、
または、あるけれど気付いてなくて
経験がないと感じていることは
人にしてあげられないのかな。
身をもって知らないと誰かに与えることは
出来ないのかな。