気づきつづり

ボーっとしているときにフワッと湧く気づき。それをどこかにつづりたくて・・・

正当化かな。

この間、お酒も入ってたけど人に少々キツいこと言った。

 

と言うより自分の感じたままをストレートに顕にした。

 

プロチームのユニフォームの袖にCMの為の企業名を入れるのに

500万と言われた時に。

 

そのサラッと言い放つ言い方に私は

イチャモン付けたんだけど

 

私が不快に感じた元は彼女のせいではない。

 

私が大きなお金を扱えなくて

動かせなくて

それに対するジレンマからなんだ。

 

ごめんなさい。

 

言い訳、自分を正当化する考え方ではないと思いたいのだが

 

職歴の多い私。

 

行く先々でうるさい人、うるさい客

 

私を成長させてくれたのは

 

そんな うるさい人たちだった。

 

面倒だけどね。

 

あの手この手を考えたり、

改善方法を考えたり、

サラリと受け流す技を身に付けたり

 

経験には何1つ無駄はない。

 

うるさい 面倒くさいお客が私を成長させてくれたと 今は思っている。

 

得意の逆ギレかな?

正当化かな?

 

ごめんなさいね。

たとえ どんなに

どんなに頑張っても どーにもならないことが人生にはある。


その時、本当に頑張り尽くしたのか


何が出来てなかったのか


そんな風に振り返っても 何になるのか。


反省して 次に または 他に 活かすためだろうか。


どうにも出来ない事を受け入れて

ただ、じっと耐えた事は何もしなかったということになるのだろうか。


それは違うと私は思う。

自分をかばうつもりはないけれど。


起こるべくして起こることだけの世界を生きているならば


自分や 守りたい人が痛み、苦しみ、悲しむ 避けたい出来事も


遥か遠くで同意がなされ


良いも悪いもない 必然の 単なる出来事となる。


自分を責める 誰かを責める

責任の所在を明らかにしようとするのは1つの次元に留まらせる為の仕組み。


自由でいたいから


何が出来なかったのか

反省はしないで だだ、今、何がしたいのかに今しばらく留まりたい。


これも1つの建設的な在り方と思っている。

範囲

私が知っている世界


私の常識


私の経験や知識から想像できる範囲は


とても小さい。所詮、狭い。


本当のところ、宇宙は広大。想像できないほど。


本当のところ、世界は宇宙は無限。


自分のどう頑張っても狭い世界から答えを見つけようとする事をやめよう。


想像することすら出来ないほど


広い広い無限に広い宇宙、世界があるんだ。


そこから可能性はやって来る。


今までの経験は何1つ無駄はない。


今この瞬間を軸に過去もまた広く無限に広がっている。


範囲にフォーカスすると全ては止まってしまう。


変わらないものはない。


私は私以外になりようがない。

理想とは?

いつも 何かを探し求めてしまっている。


それが 余りにも日常で当たり前になってしまっていて


それに対して疑問を投げかけることも無いか、出来なかった。


私は 今、私の理想を生きてる。


そう ウソでもいいから思えた時は

あっただろうか。


あえて 今、言おう。


私は 今、私の理想を生きてる。

もし、壊れているなら…

壊れているなら 直さない。


初めて この言葉を目にした時


うわーっと 泣き崩れそうな 思いでいっぱいになった。


自然と呼吸をするように 私は自分の壊れているところ探しをして来た。


何かを感じれば 何かが起これば

真っ先に どこが間違ってたんだろう。

どこが壊れているんだろう。


そんな思考回路が ごく自然に 当たり前に作動する。


かなりの虐待だね。


自分に 当たり前に起こる思考


多分、人にもして来てるでしょう。



いいんだ。


壊れているなら 直さない。



あえて 壊れていても ではなく


壊れているなら 直さない。


以前、メンターに


美しい花瓶が床に落ちて こっぱみじんに割れて


その破片の1つが あなたで


美しい花瓶は 神さま。


破片を磨いたり 角を落として滑らかに整えたりしてたら


元の花瓶の姿に戻るとき


形が変わってしまったら おさまらないのですわ。


だから、形を整えたり、してはいかんのです。


破片の1つ 1つは そのまんまで 美しい花瓶、神さまの1部の姿なんだ


と教わった。


壊れているなら 直さない


も同じ意味だね。


壊れているなら 直さないよ。