気づきつづり

ボーっとしているときにフワッと湧く気づき。それをどこかにつづりたくて・・・

誰かにしてあげられること

知人のお向かいさんに大変厳しい家庭環境の親子が住んでいて

中1になる娘さんを まるで親代わりのように私の知人ご夫婦はサポートしている。


60代の元気なおばあちゃんと

お父さんと中3のお兄ちゃんと生活している女の子は小さい頃から家族代々受け継がれて来た負のスパイラルのはけ口にされているように

私には見えた。


この私の知人が近くに住んでいることが彼女にとっては幸運なことになっている。

美容院に連れて行ってもらったり

旅行に連れて行ってもらったり

学校の教師や校長とも話し合いに行ってもらったり。


まだ若過ぎて選択の幅がないけれど

世の中にはこんな家庭があるんだ、

こんな夫婦があるんだ、

こんな大人がいるんだ、

と、知ることは酷なことになり得るけれど形成途上の間に「知る」ということは将来の財産になるんじゃないかな。


自分を振り返っても思う。 

人って、もしかしたら

欲しがっていたけれど得られなかった環境を人に与えてしまう。

自分はこうされたかったけど されなかったから

その寂しさが分かるから人には

こうしてあげよう。

そこまで気付いて行動できればいいのに。

実際に自分に経験がないと、

または、あるけれど気付いてなくて

経験がないと感じていることは 

人にしてあげられないのかな。


身をもって知らないと誰かに与えることは

出来ないのかな。


正当化かな。

この間、お酒も入ってたけど人に少々キツいこと言った。

 

と言うより自分の感じたままをストレートに顕にした。

 

プロチームのユニフォームの袖にCMの為の企業名を入れるのに

500万と言われた時に。

 

そのサラッと言い放つ言い方に私は

イチャモン付けたんだけど

 

私が不快に感じた元は彼女のせいではない。

 

私が大きなお金を扱えなくて

動かせなくて

それに対するジレンマからなんだ。

 

ごめんなさい。

 

言い訳、自分を正当化する考え方ではないと思いたいのだが

 

職歴の多い私。

 

行く先々でうるさい人、うるさい客

 

私を成長させてくれたのは

 

そんな うるさい人たちだった。

 

面倒だけどね。

 

あの手この手を考えたり、

改善方法を考えたり、

サラリと受け流す技を身に付けたり

 

経験には何1つ無駄はない。

 

うるさい 面倒くさいお客が私を成長させてくれたと 今は思っている。

 

得意の逆ギレかな?

正当化かな?

 

ごめんなさいね。

自分を引き下げない

私も含め みんな各自の思考、思いで全てを見て 感じて 生きている。


常識が十人十色のように


世界観も皆、違う。


人と違うことは当たり前のこと。


現実逃避はない。


これが私の人生。

たとえ どんなに

どんなに頑張っても どーにもならないことが人生にはある。


その時、本当に頑張り尽くしたのか


何が出来てなかったのか


そんな風に振り返っても 何になるのか。


反省して 次に または 他に 活かすためだろうか。


どうにも出来ない事を受け入れて

ただ、じっと耐えた事は何もしなかったということになるのだろうか。


それは違うと私は思う。

自分をかばうつもりはないけれど。


起こるべくして起こることだけの世界を生きているならば


自分や 守りたい人が痛み、苦しみ、悲しむ 避けたい出来事も


遥か遠くで同意がなされ


良いも悪いもない 必然の 単なる出来事となる。


自分を責める 誰かを責める

責任の所在を明らかにしようとするのは1つの次元に留まらせる為の仕組み。


自由でいたいから


何が出来なかったのか

反省はしないで だだ、今、何がしたいのかに今しばらく留まりたい。


これも1つの建設的な在り方と思っている。

範囲

私が知っている世界


私の常識


私の経験や知識から想像できる範囲は


とても小さい。所詮、狭い。


本当のところ、宇宙は広大。想像できないほど。


本当のところ、世界は宇宙は無限。


自分のどう頑張っても狭い世界から答えを見つけようとする事をやめよう。


想像することすら出来ないほど


広い広い無限に広い宇宙、世界があるんだ。


そこから可能性はやって来る。


今までの経験は何1つ無駄はない。


今この瞬間を軸に過去もまた広く無限に広がっている。


範囲にフォーカスすると全ては止まってしまう。


変わらないものはない。


私は私以外になりようがない。

理想とは?

いつも 何かを探し求めてしまっている。


それが 余りにも日常で当たり前になってしまっていて


それに対して疑問を投げかけることも無いか、出来なかった。


私は 今、私の理想を生きてる。


そう ウソでもいいから思えた時は

あっただろうか。


あえて 今、言おう。


私は 今、私の理想を生きてる。