気づきつづり

ボーっとしているときにフワッと湧く気づき。それをどこかにつづりたくて・・・

Beautiful

心配不要と思うけど誰もこの記事を読みませんように。

何故って、我ながら異様かなと思うから。

説明つかない。

うまく言葉に表現できるか分からないから。

 

それは何でもない時に湧いてくる。

さんざん無意識でも自分を責めて来たこととか、

徹底的に自己卑下した過去とか、

起こったこと、しでかしたこと、傍観者であった出来事

どんな瞬間、それがどんなにデカいことでも

その瞬間

それはただ、

美しい。

失敗、間違い、正解、いろんな見方感じ方、体験をしたと

そう、経験したと考えて、それが現実に起きたこととして記憶し

材料にしてきたけど

それらは、とてつもなく人生のインパクトとなっと感じてきたけれど

それらも、単なる瞬間で

そのどの瞬間も傷や汚点やトラウマやと

深刻に取り扱う事もできるし

してきたみたいだけど

どの、どんな瞬間もそれは、

ただ

美しい。

 

そんなような感覚に何でもない時に陥った。

 

聞こえる会話がどうだとか、

目の前にいる人がどうだとか

苦しそうな人が視界にいるとか

不自由な足を引きずりながら歩く人がいたり

お年寄りが懸命に人込みを歩いていたり

非常に異常にセンシティブになってしまうけれど

瞬間

そう瞬間の繰り返し。

そしてどの瞬間も1つの例外なく

ただ

美しい。

 

身の回りには美しい

だらけ。

私のどの瞬間もただ美しい。

あの失態も

あの出来事も

あの汚点も

例外は1つもない。

 

そして

ただ愛があるだけだったんだよね。

休日の横浜の人込みを歩きながら。

こんな事ってあるの?

もう説明や理由なんて出る幕がなかった。

快適。まずは・・・

「子供のころ何になりたかった?」

と最近、問いかけられた時に記憶に蘇った映像は紙に鉛筆で書いたステージでバレリーナが躍る光景。

私、バレリーナになりたかったの?

 

回答を紙に書き出す際にはとてもバレリーナとはかけなかった。

私の子供時代にも現在の私からもかけ離れすぎた光景にしか思えなかったから。

で、書いたことは、あれ?何だったけ。職人。

まぁ、それもウソではない。

 

クリエイターになりたい。表現したいという渇望をかかえながらも

私が私を表現する事、本心を表す事は身体の芯から緊張するくらいに

私にとっては恐ろしく怖くて仕方がないこと。

それでもここ数年の私はゆっくりとだけど

どうであれ、自分を隠さないようになって来ていると思う。

昨日もそんな自分を感じる瞬間があった。

人に合わせた私でいようとしない。

それでも迷惑なんて掛からないし。

喫煙者であることを隠そうとする私がいた。

やめる気もなければ悪い事とも思っていないのに。

タバコを吸う人が嫌い。一緒にいられない。と思う人は近づいて来ないだろうし去っても行くのだろう。

言い訳でもないだろうけど、喫煙者でない人と一緒にいたら

吸いたい時には喫煙所に行きますと言い、同席で吸わないし

そこら辺の気遣というか、それくらいは当たり前に出来ている。

それでも時々、相手をがっかりさせてしまうのではないか

というような可笑しな捉え方で隠れて煙草を吸うような時があった。

なんか尻が浮いてるような落ち着かない感覚。

それに悲しい感覚。

 

人を快適にしてあげたい。という考え方もおかしな事だな。

人に快適さを提供したい。誰かが快適さを味わってくれることが私の喜び

なのは私の長所、強味でもあるけれど

バランスを少しでも崩せば思い上がり、押しつけ、強要、コントロールになるし

 

昨日、そーだよねっ!ってガッツリつかんだお言葉と出会った。

シャンパンタワーの法則”

自分を満たせば溢れて繋がって続くグラスへ流れていく。

(高級な上質なシャンパンが!)

よーし。遠慮しないでまずはビシバシ私を満たしまくるぞ。

 

 

f:id:tokidokihighfive:20180415105640j:plain

自由

昨日、久しぶりに会った人との会話の中で

もっと自由に生きたい

という言葉があった。


他の話しの中で

自分が欲しくて買った物に対して罪悪感を持つ

というところで私もー!って話しが合った。


こんな平和な日本に生きていて

人は簡単に傷つき、恨み、妬み

平和過ぎてボケたりアホになってる。


彼女を通して自分に気づく。


自由に生きたい。

自由が欲しい。

と言いながら自由を遠ざけ受け入れられずにさせているものは

環境でも立場でも何でもない。

欲しい物を自分の物にしても

嬉しい楽しい有難いとは感じずに

自らを縛り付けて恐れおののいている自分のせいだ。

自分が自分を自由にさせないだけ。


1ー1=0 にしかならない としか考えられない自分のせい。


新しい世界はいつからでも

始められるはず。

f:id:tokidokihighfive:20180108125002j:plain


大晦日だね。

人は自分の知っている世界

経験した世界からしか物事を見ることが出来ない。


どんなに物知りで沢山の知識を持っていて

勉強に勉強を重ねて

あらゆる本を読んだ人でも

全てを知り尽くしているって言う事ではない。

まだまだ無知な未知な世界は沢山あるってこと。


だから基本も常識も場所によって

人によって違う。

もしかしたら愛情や思いやりも

そんなものに含まれるかもしれない。


どんな世界でも

どこの場所でも

人が焦がれて追い求めるもの

欲しがり、欠乏を感じれば怒り、独自の基本、常識だとかざし

大切だと計りにするもの。

それらの究極の出どころは

愛ではないかな。


育むもの。

勝ち取るもの。説得するもの。

そんな欠乏しているものではなくて

例外なく誰でもが持っている。

本来はそこから出来ていて。


欠乏している

私には無いし、与えられてもなければ与えてもない。

それは無知なことだとしたら?


今日はこんなスケールの大きいことを

感じてみた。

年の最後の日に。


まー、良いではないか。

f:id:tokidokihighfive:20171231104904j:plain

持っていない。

以前、私は何も持ってない。

と思って打ちのめされたことがある。


周りの人と比べたから そうなった訳で。

 

経験も方書きもキャリアも家族も貯金も 

良好な人間関係もやりたいことも希望も

と、次から次へと 何から何まで。 


あの時はひどく打ちのめされて2週間位はショック状態だったな。


しかし今日、ふと

何にも持ってないって そんなに悪いこと?

むしろ何にも持ってないって素晴らしくない?

だった。


f:id:tokidokihighfive:20170916123311j:plain

まぬけ

今日、職場で役職ある人が最近、移動になった20代の男性職員の事を

いなくなった まぬけと言った。


私からすると

あなたもIQの高い人だけど

十分まぬけでは?と思った。


今までにも何人かに そう思った事がある。

面白いなー。


人のことを言う人は

言ってることがその人まんまのようだ。


口にこそ出してないけど

あなたがね。と腹の中で思っている私も

まぬけなんだよな。と思った。


f:id:tokidokihighfive:20170915235440j:plain



欲と情熱

今朝、気づいたことは2つ。

1つは「変わることを相当、怖がっているな、私。」

 

2つ目は「欲は悪いこと、いけないこと、罪、明らかにしては恥。

情熱はいい。情熱は良いこと。というのが私に中で頑固な常識に

なっているんだな。」だった。

 

では、欲と情熱の定義の違いは何だ?と自問したら即答できなかった。

違うよなぁという感覚は感じられるような気がしてるけど

ここで明確に違いを言語化できると、もっと本当に自分が望んでいる

ことが明確になるんじゃないかな。

 

ここの所が曖昧でごっちゃになっているから中途半端で

情熱さえ感じられなくなって分からなくなっているような気がした。

まずは欲が悪いこと、とする前提をやめてみよう。

欲は何も悪くないよ。物欲、性欲、承認欲、他にもものすごく沢山

あると思う。

欲は悪、情熱は善、という曖昧な線引きを外して、まずは自分の

感じている、持っている欲求をあるままに「持ってるねぇ」と

悪とせずに感じてみる。

きっと、そのうち、情熱に出会えるんじゃないかな。

否定しているから感じられなくなっていたんじゃないかな。

 

f:id:tokidokihighfive:20170817113511j:plain